医学部での生活
医学部のカリキュラムは他学部とは大きく異なり、国公立大学と私立大学で多少の差異はございますが概ね次のとおりです。
すなわち1回生では他学部の学生と共に一般教養を学び、2回生以降は専門科目を学び始めます。2回生では1年間かけて解剖学の実習を、3−4回生では病理学や生理学などの基礎医学や診療科ごとの臨床医学などを学びます。そして5回生では大学に併設されているそれぞれの医学部附属病院で臨床実習が始まります。
いわゆるポリクリというもので、医療系ドラマをご覧になった方はお分かりになるかもしれませんが、4名〜6名程度の班に分かれて1年を通し各診療科を約2週間ずつかけて実際の臨床現場で指導医の下に診療を学びます。そして6回生では大学の各関連病院へ赴きさらに実際的な臨床の現場で学びを深めつつ、大量の問題集で知られる医師国家試験の準備に取り掛かるのです。学生時代の私は愛犬とべったりの幸せな毎日を過ごしており、一人と一匹の生活は今でも大切な思い出に溢れております。
生命の誕生という神秘に触れるために
私が産婦人科を志したのは5回生のポリクリの時でした。それは数ある診療科をめぐり多くの患者さんを診療する中で、産婦人科だけが新しい命の誕生に携わることができるからでした。生命の誕生は美しく神秘的です。しかしその神秘は常に危険と隣り合わせであり、数々の偶然と必然が複雑に融合した奇跡の結晶とも言えるものだと学びました。
その感動的な神秘に触れ続けたいと思うのにそれほど時間はかかりませんでした。またその頃は現在に続く臨床研修医制度が始まったばかりで、大野病院事件に代表される産婦人科の訴訟リスクが大きく取り沙汰された時期でもあり、その煽りを喰らって産婦人科専攻医が著しく減少していました。正義感を振りかざすつもりはございませんが、その背景から使命感を強く抱いたことは事実であり、迷うことなく産婦人科医になる決意をいたしました。
多様な施設で幅広い研鑽を積む
医学部を卒業した後は各診療科によっても違いますが、研修医を経て多くは医局に属し大学病院だけでなく関連病院を数年おきに異動して研鑽を積んでいきます。私は大学病院あるいは一部の病院だけで働き続けることは望ましくないと思います。
それは同じ施設・同じ環境だけで働いていると、偏った症例や限られた環境でしか診療ができなくなってしまい、診療の幅が狭くなるばかりか医師としての視野が狭まってしまうと感じるからです。
私は出身大学である大阪市立大学医学部附属病院での研修医時代を終えて、大阪府済生会中津病院で産婦人科医として働き始めました。その後は大阪大学の医局に属し、同大学大学院に進学しながら大阪急性期・総合医療センター、大阪大学医学部附属病院と勤務しました。この他にも10ヶ所以上の病院やクリニックで当直や外来業務を経験し、幅広く経験を積むことができたと感じております。
生殖医療への道
産婦人科医としておおよその土台ができた頃、外来で不妊に悩む患者さんや不妊治療の末に子供を授かった妊婦さんに出会う機会が多くなりました。ちょうどその当時は不妊治療の保険適応化の噂が立ち始めた時期でもあり、外来で接する不妊患者さんを診療するうちに自分がいかに不妊治療について無知であるかを思い知るようになりました。
元々学生時代から生命の誕生に心を惹かれて産婦人科医になっているため、その原点である受精から着床の部分を司る生殖医療を携わりたいと強く思うようになりました。そこで開院して間もない頃のリプロダクションクリニック大阪の門戸を叩き、どっぷりと生殖医療に従事する毎日が始まりました。知らないことの連続で挫けそうになりながらも、自分の中で急速に知識や経験が膨らんでいくことを実感する日々を過ごすようになりました。
自らの経験を乗り越えて
これまでずっと患者さんを診療する立場でいましたが、ある時その立場が逆転いたします。結婚して暫くしても自然妊娠せず、自分達のことを調べていくと妻が多嚢胞性卵巣症候群の傾向があることが分かったのです。
ご存知の方も多いとは存じますが、比較的若い方の不妊に多い原因であり、排卵が順調にいかず苦慮していました。夫婦で何度も相談した結果体外受精を選択することになりました。
実際に二人で体外受精を経験してみると、毎日注射を打つ苦労や、採卵をした当日から続く下腹痛の辛さ、良い胚を移植したのに妊娠判定が陰性だった時の精神的ショックなど、これまで頭の中では分かっていたつもりの事がいかに不十分な理解であったかを嫌というほど思い知りました。
幸いにも無事に赤ちゃんを授かる事ができ、これまで何千もの分娩に立ち会ってきましたが、今までよりも一層新しい命の尊さを噛み締めて実感しております。この自らの経験を経てからより目の前の患者さんの気持ちが分かるようになり、相手の立場になって診療をするということが真の意味で出来るようになったと思っています。
リプロダクションクリニックの発展とともに生殖医療の経験を積み重ね、生殖医療専門医を取得して十分に研鑽を積めたと感じるようになってきた時、ある患者さんから採卵後にこう言われます。
「先生に採卵してもらう時だけ毎回全然痛くありません」。
これまで正確に採卵して出来るだけ多く卵子を確保することに集中していましたので、思いがけないお言葉にふと興味が湧き、以後採卵した患者さんにそれとなく痛みについて質問してみました。すると特に他院で採卵を経験されてきた方や、採卵治療歴の長い方々に同様のお言葉を頂き、正確に採卵することが痛みを軽減することに繋がっていることに気づきました。
また臨床妊娠率の年間成績を調べてみたところ私が初めて実施し始めた初年度を含めて高い妊娠率を記録し続けていることも明らかになりました。いつも丁寧に移植をすることを心がけておりましたので、多数の医師が在籍するクリニックで得られたこの結果はとても嬉しかったです。
この二つの事実から私はより多くの患者さんに自らの手で治療を実施していきたいと思うようになりました。そんな時に縁あって当クリニックよりお声かけいただき、この度院長として就任する運びとなりました。
目まぐるしい発展を続け多種多様な人々が行き交う渋谷という場所は私にとってこの上ないステージであり、この街でこれまで培ってきた技術と経験を余すことなく発揮し、誰よりも患者さんに寄り添える生殖医療を実施していく所存です。
一組でも多くのカップルに新しい命の誕生という神秘を実感していただき、お互いに信頼し合える生殖医療のパートナーとなれることを願ってやみません。
桜十字ウィメンズクリニック渋谷 院長 金 南孝